灘教会の歴史

第2次世界大戦後、神戸では湊川伝道館の焼け跡で数名の牧師が伝道を始めました。そのうちの一人、石村武治牧師が灘区の信徒と共に灘福音伝道館を設立し会堂を建築しました。

1951年 日本イエス・キリスト教団創立時21教会の一つとして教団に加入しました。その後灘教会と改名しました。

1958年 教会は諸事情から再出発することになり、阪急六甲駅近くの信徒宅で礼拝を持つことになります。この後、多くの大学生や子どもたちが集会に集うようになり、教会員が増えていきました。

牧師がいない間は、関西聖書神学校から神学生が派遣されていましたが、1965年に金田清枝牧師が就任すると、借家の集会場が与えられ、教会はさらに成長しました。

教会員の増加に伴って、会堂へのビジョンが与えられ、1978年に現在の国玉通に土地家屋を購入し、伝道を開始します。この場所は神戸市バスが通行するバス道に面しているわかりやすい場所です。

木造の改装建物の会堂の老朽化が進み、こどもたちの教室や冠婚葬祭のできる会堂の必要が出てきて1994年から新会堂建築に着手しました。基礎工事と鉄骨組み立てを終わり1階ホールのコンクリートの流入が固まったその朝(1995年1月17日)阪神淡路大震災発生。金田師は余震の続く中、牧師館から工事現場に駆け付けたところなんの損傷もなく神様の不思議な守りに聖名をあがめました。

その後、鎌野幸師、内田正治・多恵師夫妻、西原孝至師、鷹取宗明・恵美子師夫妻、仁科早苗師が就任し、現在に至っています。